フットボールトラベラーmasaがお届けする「その時、歴史が動いた」シリーズ
2017年8月31日。

こんにちは!

フットボールトラベラーmasaです。

今日お届けする「その時、歴史が動いた」は、2017年8月31日。

日本代表が6大会連続でワールドカップの切符を掴み取った日です。

まだ記憶に新しいかなと思います。

日本のサッカーのプロリーグが1993年に華々しく開幕し、2017年の今年、24年が経ちます。その当時はまだワールドカップに出場した事がないサッカー後進国でした。その日本が、ワールドカップ出場の切符を掴み取り、2018年ロシア大会に出場する事に決まりました。

1992年にドーハの悲劇を経験し、あと一歩のところでワールドカップの出場を逃しました。その後、1993年に日本のプロ化が発足し、初めて臨んだ1998年フランス大会で初出場果たしました。その後は、途切れる事なく5大会連続で出場してきたワールドカップですが、今予選は大変苦しい試合を強いられ出場が危ぶまれていました。

最終予選の初戦。ホームでUAEに1-2で破れ黒星発進となります。

予選突破の確率0%。

最終予選の初戦に破れたチームのワールドカップ出場の確率は0%。正に初戦が全て。そのような中、最終予選は進んでいきました。

浦和美園駅から埼玉スタジアムへ続く道の横断幕。

残る予選はこの日を含め後2戦。この日の対戦相手はオーストラリア。これまで一度も勝利した事がありません。最終試合はサウジアラビアとアウェーでの試合になります。

オーストラリア、サウジアラビア、日本。現状、どの国もまだ出場を決めていない三つ巴の様相です。出場枠は2つ。絶対に負けられない試合が続きます。

緊迫感で包まれた埼玉スタジアムには59492人の両国サポーターが詰めかけました。

日本の先発には浅野、井手口と20代前半の選手たちの名も。

前半、日本は中盤で厳しいプレッシャーをかけボールを奪い、相手の攻撃を防ぎながら素早い切り替えで攻撃に転じるといった一進一退の攻防が続きました。均衡を破ったのは浅野選手。前半41分、長友選手から左のクロスに、オフサイドぎりぎりで抜け出し先制点。

スタジアムは歓喜に湧きます。

追い込まれたオーストラリアは、後半16分にヘルタ・ベルリンで原口選手と同僚の長身FWユリッチ、さらに後半25分には日本の長年の天敵・ケーヒルを投入し、スタジアムには一気に嫌な雰囲気が漂い始めました。徐々に日本ゴールに迫ってきます。危うい場面も続きましたが耐え切った日本。

そして、ついに歓喜の瞬間が訪れます。

後半37分、途中交代の原口選手が潰れながらもボールをつなぎ、ボールが渡った井手口選手が中央突破し、豪快な右足シュート。ボールは美しい弧を描き、ゴールネットを揺らしました。

この瞬間、埼玉スタジアムそして日本列島熱狂の渦に包まれました。

日本代表は2-0でオーストラリアに勝利し、初戦敗退出場確率0%のジンクスと、一度も勝利した事がないオーストラリアに初めて勝つという、この2つの負の呪いを跳ね除け、ワールドカップ6大会連続出場の切符を掴み取りました。

2017年8月31日は、日本のこれまでの負の歴史を覆した歴史的な日になりました。

来年のロシアで開かれるワールドカップ本大会が今から楽しみですね。

スタジアムの外では両国サポーターの交流が色々なところで。このワールドカップのもつ雰囲気は最高ですね!

オーストラリアのサポーター、メディアの方も沢山いらっしゃいました。

ロシアはオーストラリアの分まで!

次はロシア!

どんなドラマが待っているのかわくわくします!

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